松岡圭祐『小説家になって億を稼ごう』(2021年3月、新潮新書)がちょっとした話題になっている。これまで「小説の書き方」や「小説家デビューの仕方」という本はたくさんあったが、「億を稼ぐ」というコンセプトの本は業界初だろう。
内容は、前半が小説を書くためのメソッド、後半がデビュー前後に役立つ業界知識である。特徴的なのは全編を通じて非常に実用的かつ具体的なこと。「億を稼ぐ」というと心躍るようなエピソードや自己啓発的な成功マインドを連想するが、そんなものは皆無である。徹頭徹尾、実用書に徹している。
以下、前半の創作論である「想造」をメインにまとめてみよう。
富を築くための創作論「想造」
『小説家になって億を稼ごう』の前半は著者の実践しているきわめて具体的な創作方法が語られている。しかも、これが他の類書とは全然違う。
創作論の本と言えば細かなキャラクター造形とかハリウッドの脚本術に基づいたストーリーの作り方が定番だが、この本はもっとシンプルで具体的だ。アーキタイプもヒーローズジャーニーもナントカの法則も出てこない。だからこそ、自分でもできそうに思えてくる。
この創作メソッドは「想造」と名付けられている。「創造」(creation)と「想像」(imagination)を合わせて「想造」なのだろう。想って、造る。まさにそのような方法になっている。具体的にこのプロセスを追ってみよう。
1)登場人物候補を壁に張り出す
最初の段階は、小説に出てくる予定の人物を壁に張り出すこと。具体的な作業はこうだ。
- 好きな俳優か知人を7人選び、顔写真をダウンロード
- それぞれに名前をつける
- 身長、体重、年齢、出身地、職業などを書く
- 性格や食べ物の好き嫌い、特技、趣味などを書く
- サブの5人も加える
こうしてメイン7人、サブ5人の情報をA4で1枚ずつに書き、壁に貼る。人数はこのくらいがやりやすいようだ。
注意しなければいけないのは、この段階ではまだ「人生の目標」や「過去のトラウマ」まで書かないこと。人物造形に集中だ。人物同士の関係もまだ定めなくていい。
さらに、舞台となる場所3枚の画像も印刷して壁に貼る。もし舞台が増えてきたら追加する。壁には、上から7人のメインキャスト、5人のサブキャラ、3枚の風景が並ぶことになる。
□□□□□□□ ←メイン
■■■■■ ←サブ
□□□ ←風景
2)壁を見ながら空想に耽る
以上で準備は完了。あとは壁に貼った紙を見ながら自由に空想する。ここが「想造」のメインだ。それぞれの人物が何をするか、何をしゃべるか、どこを動くか、他の人物とどんな会話をするかを日々の生活の中で空想していく。注意点がいくつかある。
- ストーリーを作らない
- 壁に余計な線などを書き加えない
- メモを取らない
- 描写もしない
つまり、この段階ではすべて空想に任せるということ。中身が少しでも固まってしまうような余計なことはしなくていい。
登場人物が動き出さないときにはキャスティングが悪いので、あとで取り替えてもいい。一週間が目安だ。
3)プロットづくりと執筆
中身が固まってきたら、プロットを造る。
まずは全体を3行でまとめる。1行は40字以内。具体的に、5W1Hを意識して書く。こうして書いた3行が、脚本術で言う3幕構成になる。
次に、それぞれの行にまた出来事を書き加えていく。1幕目には10行、2幕目には20行、3幕目には10行。このときも5W1Hを意識する。
と、こういうプロットになる。ここまでならまだA4サイズ1枚にまとまりそうだ。
1幕 10行
2幕 20行
3幕 10行
このあと、合計40行の各行のあいだに、思い浮かぶ具体的な事柄を書き加えていく。ここではもう5W1Hは気にせず、思いつくまま書いていい。どれだけ長くなってもいい。
こうして小説全体の「空想」がプロットのかたちに降りてきたわけだ。
ただし、まだこの段階では文章表現にこだわってはいけない。自分が分かりさえすればそれでいい。
ここまで来たらもう手元には詳細なプロットがあるわけなので、それを手引きにして執筆していけばいい。執筆時には文体のお手本となる本を2,3冊用意しておき、それを使いながら本文を書いていく。
印象的な部分の引用
読んでいて印象的だった部分をいくつかご紹介しよう。
すべての現代小説は映像世代の脳を前提に書かれており、映画が登場する十九世紀以前の文学とは明確に異なります。
言われてみればそうだ。私たちの脳はすでに映像作品ありきで構築されており、小説を読む場合でもそこから自由ではない。というより、小説における描写はすべて、映画やドラマといった映像作品のパッチワークと捉えた方がいいかもしれない。それありきでの描写だと心得ておきたい。
現代に生きる貴方には、フィクションのあらゆるパターンがすでに身体に染みついており、意識せずとも物語の序盤はできあがっていきます。
普通に生きているだけでも、現代人は無数の物語に触れている。あえて物語の構築方法を学ばなくても、自然に物語はできてしまう、ということだ。無意識に既存のお話に引っ張られるというデメリットもあろうが、「すでに自分の脳にはかなりのリソースがある」というのは意識しておくといいと思う。
現代に通用する小説家は、『想造』の中での実体験をもとに、追想して文章表現をすべきです。原稿執筆段階では、ノンフィクション作家と同じ条件になるわけです。
著者の基本的なスタンスとして、「小説は体験したものを書くように書くべき」という考え方があるようだ。だからこそ、あらかじめ「想造」でリアルかつ完結した物語を仕上げた上で、それを書くわけだ。「ノンフィクション作家と同じ」という表現は簡潔でよい。
読書を楽しめるのは、ほぼ先天的と言える特殊な才能です。それは必ずしも書き手の才能とは一致しません。食通が料理人になれるわけでないのと同じです
著者は、プロの作家としてはめずらしく、小説家志望の人に読書量を要求していない。読むのと書くのは違うから、と。読書量に自信のない人にとっては勇気づけられることかもしれない。
とはいえ、この点についてはプロの間でも意見が分かれるし、「よい書き手はよい読み手」「執筆は読書量が物を言う」という意見も根強い。ここは何とも言えない。
「一発当ててやる」と思うなら読むべし
以上、松岡圭祐『小説家になって億を稼ごう』をご紹介した。後半は端折ったが、デビューのための具体的な方法や編集者との付き合い方、映像化にあたっての注意点などが書いてある。ここは自分の状況に応じて必要になったら目を通せばいいのではないだろうか。
最初にも書いたが、この本は「いかにして俺は億を稼いだのか」という自伝的な本ではない。成功法則も語られていない。だから、その手のシンデレラストーリーを期待している方はまったく面白く感じないだろう。
しかし、内容はきわめて具体的に有用だと思う。このままそっくり実行すれば億を稼げるというわけでもないだろうが、自分の創作メソッドの中に取り入れるべきものはありそうだ。